価値観の違いを認めると得られるものは
昨日のこんぴらさんの階段のおかげ(?)で本日、ふくらはぎ筋肉痛であります。
そりゃそうですね。
1400段近く登ったのですから。
今日、駅のホームに上がる階段を登ると「はぁ、しんど」と思うのですが、どうしてこんぴらさんの階段は1400段も登れるのでしょう?
自然の力って素晴らしいですね。
我が家はテレビがないので、情報はもっぱらネット経由です。
今朝もfacebookを見ながら色んな方がシェアしてる記事などを見ながら朝ごはん。
アイドルを刺した事件
東京都知事のお金問題
ATMの不正引き出し
色々ありますね。
みんな色んな意見、コメントを交えて記事をシェアしておられます。
SNSが普及してから、自分の意見を言える場というのが増えました。
そういった場が増えるようになってからというもの、何かを「批判する」機会というのも増えましたね。
批判の判断材料になるのは、個々の価値観だと思います。
自分の価値観と人の価値観の違いをただ単純に「違い」ととらえるか
アウトとセーフの概念でとらえるか
そのとらえ方によって「批判」がうまれます。
何かを批判すること
批判するということを最近しみじみ考えます。
自分の価値観を主張し、他の人の価値観を批判すると、どこかに矛盾が生じ、その矛盾に対して、また別の人から批判を受けることになります。
例えば
動物愛護団体の人がペットショップの存在を非難しています。
そうでないならば、どこまでの動物を愛護して、どこからの生き物を殺生しても構わないと思うのでしょうか?
「かわいそう」だから肉魚を食べない、動物を愛護しようと主張する方にとっては、野菜を摘むことは「殺生」と思わないのか?
などなど。
矛盾からうまれる批判のループ
批判のループがぐるぐる→今流行の「炎上」
批判は意図せずとも新たな批判をうみ出す可能性を秘めています。
「それは違う!」と思うような出来事はたくさんあります。
ですが、その「違う」と感じる価値観の境界線は人それぞれですし、物事によってもそれぞれです。
そして、誤解してはいけないのが、1つの違いが全ての違いとはならないこと。
最近は、1つの価値観の違いによって人格をも否定されかねない状況になっておられる方もいらっしゃいますね。
そんな負の感情をぶつけ合ってうまれるものはやはり負の感情。
単純に疲れますよね。
負のループに乗らされたくないです。
違いを「否」ととらえて批判するのではなく、
「違う」という事実だけを受け入れていけるように
価値観の違いを認める(理解する)ことは難しい場合ももちろんあります。
けれど、そういった「違い」が存在することを知ること
それが大切なんだと思うのです。
違いの存在を認めると、自分の違いも受け入れられる
違いの存在を認められないと自分の違いも受け入れてもらえない
自分を受け入れてもらうためにも、他人の違いも受け入れないと。
欲しい欲しい詐欺になってしまいます。
違いの存在を認めれば、向き合えることも増えるはずです。
自分にも相手にも。
批判の目線で誰かを見るよりも、
フラットに見られるように努めたいです。
自戒を込めて。
気をつけていきたいものです。
今朝の体重48.4kg(身長159cm)旅行前より+1.4kg
はははは。
1週間前と2キロくらい違うじゃないの。
やばーい、やばーい。
引き締めねば。
朝ごはん・・・お粥、ドラゴンフルーツ、カスピ海ヨーグルト、コーヒー
昼ごはん・・・自作弁当(おから丼半熟卵のせ、お土産のハタダタルト)
夜ごはん・・・鶏肉と野菜の重ね煮と糸こんにゃくの冷麺仕立て
糸こんにゃく好きだわー。